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浦和地方裁判所 昭和43年(ワ)141号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕二、内田源吉が原告ら主張の日時に、国道四号線上で国道一二五号線と交差する変型交差点手前の場所を東京方面から栃木方面に向けその主張の自転車を運転して進行し、反対方面から進行して来た実川車に衝突し、即日死亡したことおよび当時源吉の自転車の右後ろに永井修二が被告中畑の業務の執行として中畑車を運転して進行していたことは原告らと被告中畑との間に争いがなく、内田源吉が前記のように進行している時中畑車に後ろから追突され、そのため折から被告会社の業務の執行として反対方面から進行して来た実川隆運転の実川車に衝突し、即日死亡したことは原告らと被告会社との間に争いがなく、<証拠>によると、本件事故現場の国道は歩車道の区別のない全幅員12.9メートル、アスファルト舗装、幅員九メートルの直線の平たんで見通しが良く、中央線が設置され、交通量の多いところで、夜間も照明設備が付近に四か所あるので、おおむね物件の識別ができ、事故当時は小雨が降つていたため路面がぬれていたことを認めることができ、そして、<証拠>によれば、本件事故は、内田源吉が前記のように進行している時永井修二運転の中畑車に後ろから追突され、そのため跳ね飛ばされて実川車に衝突したものであることを認めることができ、右各認定を覆えすべき証拠はない。

三、以上によれば、被告らはいずれもその保有する自動車の運行によつて内田源吉を死亡させたということができるので、自動車損害賠償保障法第三条の適用を検討する。

(一) <証拠>によれば、永井修二は、本件事故現場付近まで時速約四五キロメートルで進行し、前方交差点手前信号機から約五〇メートルの地点で右信号機の表示が青色であることを確かめ(当時同信号機の表示が青色であつたことは当事者間に争いがない。)たが、交差点前のため約四〇キロメートルに減速し、その日は暗く小雨が降つていたため燈火をつけて進行し、信号機の手前約12.3メートルで、左側前方約3.5メートルの地点に内田源吉が自転車で同方向に進行するのを認め、そのまま約8.2メートル進行したところで、源吉が左側前方約1.6メートルの地点から急に右に寄つて来る(事故前源吉が右に寄つて行つたことは当事者間に争いがない。)のを認め、すぐ急制動をかけたが間に合わず、源吉の自転車の後部に追突したこと、実川隆は、反対方面から交差点信号機の表示が青色のため時速約四〇キロメートルで自車に燈火をつけて交差点に入り、そのほぼ中央地点に達した時、右地点から対向車線上約一二メートルの地点で前記の追突事故が発生し、同時に黒い塊り(被害者および自転車)が飛んで来るのを認め、直ちに急制動をかけたが間に合わず、これと衝突した。以上の事実が認められ、第一の衝突の前に内田源吉が方向指示器の点滅により右折の合図をしたことは当事者間に争いがなく、原告らは、右合図は交差点で右折するためあらかじめ出されていたものと主張し、被告らは、源吉は信号機の二、三メートル手前で急に右に寄つて来たもので、合図はすぐその前に出されたものと主張する。被告らの主張するより先の時に右合図が出されたことを認むべき証拠はないけれども、合図の出された時期についての被告らの主張もまた疑わしいと思われる。道路交通法、同施行令によると、自動車または原動機付自転車が交差点において右折しようとするときは、当該交差点の手前の側端から三〇メートル手前の地点に達したとき右折の合図を行なわなければならず、かつ右折の前からあらかじめできる限り道路の中央に寄らなければならないと定められている。したがつて、交通の激しい道路でかような合図をあらかじめすることなく、交差点のすぐ手前で合図を出してすぐ急に道路の中央に寄つた場合は、後方から進行して来る車輛と衝突するおそれがあり、極めて危険な行為といわねばならない。本件の場合内田源吉があらかじめ合図することなくかかる甚だしく危険な行為をしたであろうかを考えると、疑いは到底拭い去ることができず、<反証排斥>。また原告らは、当時現場は見通しがよくきかなかつたのに永井修二および実川隆は前方を注視せず、時速約五〇キロメートルの速度で進行したと主張するけれども、右事実はこれを認めるに足る証拠がない。

(二) そこで進んで永井修二および実川隆の過失の有無および被告らの責任につき順次考察する。

原告らはまず道路交通法三七条二項についての主張をするけれども、右規定は、交差点においてすでに右折を完了している車輛等に対するものであり、本件は右折前のものに対する場合であるから、全く該当しないものである。また原告らは徐行義務を主張し、当時小雨が降り路面がぬれていたことは前記のとおりであつて、幾分滑走し易かつたとはいえようけれども、

1 自動車運転者たる永井修二に対し、前記認定の周囲の状況のもとに左前方を進行している内田の自転車が急に右に寄つて来ることを予測し、徐行して安全を確認し事故を未然に防止すべき義務を課すことは、現在のように自動車が高速度交通機関として発達しその効用を発揮しているときかえつて交通の渋滞を来し、自動車本来の機能をそこなうこととなり、自動車運転者に求められる通常の注意義務の程度を超える過酷な要求といわなければならず、したがつて、本件の場合永井修二の安全義務違反としてこれに過失を認定することはできない。しかしながら、前記のように、内田源吉が事故前あらかじめ右折の合図を出したことは証明されてはいないけれども、その疑いはなお存しているものであり、もし右の事実があつたとすると、永井修二の過失を認める余地があることになるから、本件事故に対する同人の無過失を認めることはできず、被告中畑は中畑車の保有者として自動車損害賠償保障法第三条による責任を負わなければならない。

2 次に自動車運転者たる実川隆に対しては、前記認定の周囲の状況のもとに対向車線上における対向車同志の衝突によつて対向車が自車の前面に突然飛んで来ることを予測し、徐行して安全を確認し事故を未然に防止すべき義務を課すことは自動車運転者に求められる通常の注意義務の程度を著しく超える過酷な要求であり、したがつて本件の場合この点に実川隆の安全義務違反があつたということはできず、同人は前記認定のとおり、時速約四〇キロメートルで自車に燈火をつけて交差点に入り、そのほぼ中央地点に達した時右地点から対向車線上約一二メートルの地点で追突事故が発生し、同時に黒い塊り(被害者および自転車)が飛んで来るのを認め、直ちに急制動をかけたが間に合わなかつたというのであるから、同人にはすべての点に何ら過失がなかつたものといわなければならない。

(二) 内田源吉が右折の合図をいつ出したかは前記のとおり明らかではないが、前記認定のとおり、永井修二は信号機の手前約一二、三メートルで左側前方約3.5メートルの地点に内田源吉が自転車で同方向に進行するのを認めそのまま進行したというのであるから、少くとも右の最初に認めたときは未だ右自転車は右折の合図を出していず、その合図を出した時期は右認めた直後から事故直前までの間と推定することができるところ、前記のように道路交通法等により右折の合図を出すのは当該交差点の手前の側端から三〇メートル手前の地点に達したときであり、かつ右折の前からあらかじめできる限り道路の中央に寄らなければならないと定められているのであるから、内田源吉のなした合図は著しく遅く、また中央(右)への寄り方が急であつて、後続車に対しやはり危険な行為であり、本件事故は源吉の右過失が一の原因となつて生じたものと認めるのが相当である。

(四) したがつて、本件事故については、実川隆には何ら過失がなく、右事故はもつぱら被害者内田源吉の右過失および被告中畑の責に帰すべき永井修二の行為によつて生じたものといわなければならない。また、<証拠>によれば、被告会社は実川車の運行に関し注意を怠らず、実川車には何ら構造上の欠陥および機能の障害のなかつたことが認められるから、被告会社には本件事故による損害賠償責任はないものというべきである。

四、内田源吉の前記過失の程度につきさらに考えるのに、源吉が合図を出した時期は、前記のように、永井修二が最初に自転車を認めた直後から事故直前までの間と推定すべきところ、源吉の過失については被告中畑に立証責任があり、合図の時期についての被告中畑の主張に副う各証拠の信用できないことは前記のとおりであつて、他にこれを認めるに足る証拠のない以上、右合図を出した時期は永井修二が最初に自転車を認めた直後とするよりほかはなく、そうだとすると、これを永井修二の行為と対比すると、本件事故に対する永井修二と内田源吉の過失割合(永井修二については過失を認定したものではないけれども、その無過失を認定することができず、被告中畑の責任を認める以上、過失割合の点については同人に過失のある場合と同視すべきである。)は五対五と認めるのが相当である。

よつて、被告中畑は原告らの損害額の五割の減額の限度で自動車損害賠償保障法第三条による責任を負うものと認むべきである。(堀部勇二)

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